FXの知識 介護福祉士で1型糖尿病のレビューとつぶやき帳-お題でエッセイ-
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2013年09月29日(Sun)

秘密

カテゴリー:お題でエッセイ記事編集

二年ほどこのカテゴリーをやっていなかったなぁと、ふと気づきました。

お題をお借りしたサイト様
夢一夜(ゆめひとよ)様(管理人:星野美咲様)

本当に心の底から「秘密」だと思っていることは、親しい友人にひっそり語るのならばともかく、不特定多数の人たちが見る事の出来る場所へ書くなんてのはとんでもないことで、それにそもそも、墓の中まで持っていくのが「秘密」なのでしょう。

では。
と思いながら色々と考えを巡らせてみたものの、そもそも墓の中にまで持っていくような秘密もないことに思い至って、やっぱり人生が薄っぺらいよなぁとしみじみしてしまいました。

しかしながら。
ここに来てあたしの書いているものを読んでくださる方には、秘密でも何でもないことだけれども、ふらりと外出した先では、いちいち自分の病気が分かるような行動をしないで数年が経ちました。

入院中に、意外なところでも1型糖尿病という病気はいまいちマイナーな部類なのだな、と思ったり、どこかへ見舞いに来ていた老女に、インスリンを打っていたら蔑んだように「糖尿か」と吐き捨てるように言われたことがあったり、というのもまずありはしますし、退院後、最初は、飲食店でも自然にインスリンを打てるようになろうなどと思っていたものの、ちょっと心が挫けるようなことがありもして、結局、外食自体を殆していません。

そもそもそれほど外食をする人間ではありませんが、やはり遠出をしたりすると外食に躊躇いがあると面倒です。そもそも自身の中に蓄積されたケースが沢山ないのと、小心者であることも重なって、やけにドキドキしてしまいます。
家族が一緒で、注文後に心置きなくトイレに立ってインスリンを打てるのでないと、レストランに入ろう、という気になれません。

しかしまあ、遠出といえるほどのものを殆しません。
電車に乗るのが嫌いだというのもあるし、別段、大抵のことは近所で事が足りる程度にしか行動範囲が広くないのです。
趣味のほとんどがインドアで、いまどきは欲しい本が見つからないからと古本屋街へ行こうなどと考える必要もなく、ネットで買物ができてしまうし、ネットでDVDも借りられてしまいますから。

とはいえ。
毎月の病院があります。
院内で、以前は食堂を使ってこっそりとインスリンを打って食べていましたが、やはりひと目が気になります。
日常に色々と神経質になるようなことが起こったのちに、変なところで神経質だった性質が悪化したので、食堂で密かに注射することがだんだん負担になっていき、結局、売店でパンなんかを買ってトイレで注射して待ち合いで食べる、というのが普通になっています。

待合で食べる、という選択を、あまりお腹も空いていないし、というんで抜かしてしまうと、その後病院周辺で買い物をして歩くのでお腹が空いてきますが、その場合はもう、おなかがすいたなぁと思いながら買い物をしてから帰宅、というのも、結構、普通になっていたり。

会社の人間の殆どはあたしの病気を知っていますが、それでも面倒なので秘密にしていたり、あえて細かい説明などするつもりのない人もいるぐらいで、これはあたしのものの考え方というのもあるんだろうけれども、時折、なんて面倒臭いことになってしまったのだろうと、大きく負担に感じます。

世の中にはもっと、劇的な秘密ってあるんでしょうけれどもね。

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2011年09月16日(Fri)

恋心

カテゴリー:お題でエッセイ記事編集

お題をお借りしたサイト様
夢一夜(ゆめひとよ)様(管理人:星野美咲様)

移ろい易きは恋心かな、とは思うものの、妙なもので子供のころに好きだった人物というものは、架空の人であれTVの中の人であれ、同じクラスにいた子であれ、わりと今でも好きなものです。

例えば、本の中。
当時すでにシリーズの完結した本の場合、中の人物には新たな要素が付くこともなく、別段、引き算することもないので、子供時代のわくわくをほぼ当時と同じ形で呼び戻してくれる存在、と思います。

あたしが人生で初めて意識して繰り返して読んだ物語は、幼稚園の頃に従姉妹のお下がりでもらった『オズの魔法使い』でした。
ここはあえて、恋、というものを性別問わずの強烈に好きだと思う気持ち、という解釈で書かせてもらいますが、主人公のドロシーは女の子です。
あの強烈な憧れは、恋心と呼ぶにふさわしい。普通の女の子であったはずのドロシーがオズの国で出会った仲間と飼い犬と一緒に、困難にぶつかってもその先を切り開いていくさまにものすごく憧れました。
しかしこれは、ドロシーへの恋ではなかったのかもしれず、物語の世界に恋焦がれたような気もします。

長じて、小学校の中学年辺り。
『長くつ下のピッピ』の主人公のピッピ・ナガクツシタに憧れまくったものでした。
1年ほどのあいだ、学校の図書館や市の図書館で、常にあたしが三冊のシリーズのうちのどれかを、他のものと一緒に借りていたのではないかというぐらいに、ピッピの暮らしぶりを読み返しました。
ビックリするほどに強くて、ビックリするほどに目茶苦茶で、自由で、無邪気で、ダメなことはきちんとダメだと誰に対しても言えて、優しくて、大きなホラは吹くけど嘘つきなわけではなくて、こんなに万能な女の子はピッピ以外にはいないだろう、と。
本を読み返してはピッピになりたいという思いでいっぱいになり、他の本を読んでいる時でもピッピを恋しく思い、なんて具合でしたから、これはもう、本当に愛していたと言って構わないでしょう。

本の中の男性はといえば、シャーロック・ホームズ。
どれだけ、ワトソンになりたいと願ったことでしょう。
にしても小学生ながらも、本人になりたいと願うのか相棒になりたいと願うのかが、同性であるか異性であるかの違いなんでしょうね。

しかしまあ、よくよく考えればワトソンではホームズと同性なので、ワトソンになってしまうとこれまた、少女であるピッピへ憧れていた小学生の少女だったあたし、と同じような状況になるんで、恋心というお題に沿った状況を言うならば、アイリーン・アドラーになりたいと思っていた、とくるべきなのでしょうけれども、当時のあたしはたかだか十歳程度で、別段、ホームズのお嫁さんになりたかったわけではなく、ただただ、ものすごい人の横でその活躍を眺めたい、というだけでした。
横で活躍を見たいという思いの強さは、いわゆる恋愛的感情ではないにしても、やっぱり恋心と言って差し支えないであろう強さでした。

実はホームズにハマる前に、ジュニア向けのルパンものの表紙に描かれた、いかにも紳士なルパンの挿絵にフラフラと惹かれてはまっていた時期もありましたが、学校の図書室のルパンものをあらかた読んだ頃、ではホームズはどうだろうと思い、まずはジュニア向けのものを読み、あまりにもはまって、大人はもっと違うものを読んでいるらしい、子供向けには入っていない話もあるらしい、といったことも知ったので、文庫本は学校か市の図書館ものか忘れましたが、新潮文庫の延原謙さんの翻訳されたバージョンを、何度も何度も何度も、本当に何度も読んだものです。
ちなみにルパンものにハマっているときには『八点鐘』が一番好きでしたから、そもそも推理ものが好きだった、というのもあるのかもしれません。

ピッピは、小学校を卒業してからかなり長いこと、思い出の中での憧れと化していましたが、ホームズは出会ってからは毎年どこかしらで読み返し、関連本を読み、パスティーシュを読みとしています。
児童向けにもホームズのパスティーシュはあるので子供の頃から読んでいたおかげか、大人向けのものにけっこうある驚きの設定でも受け入れられるし、聖典とはまた別物の楽しい読み物、と思っています。
まあおかしなことに、聖典はいつでも図書館で借りられるというのもあって、パロディや研究本のほうが先に手元にあったのでしたけれども。

最初に、ジュニア向けの本を手にとったときには、ルパンほど男前ではないようだというような、どうでもいいことを考えたものでしたが、読み出したらもう、夢中になってしまいました。
未だに理想の男性と言われたときに思い浮かぶのが、シャーロック・ホームズです。
魔法のように推理をしてみせて、でも魔法ではなくきちんとした推理をしていて、意外と融通の聞くところもあって、なんつーか、ちょいとツンデレ気味ではあるものの仲間を大切にしていて、なんか色々と万能で素敵。

以前に書いた『シャーロック・ホームズ』という記事にも書いたように、大きくなるにつれて、でもヤク中だった時もあるんだぞ、とか、事件解決のために結婚詐欺とかダメだろ、なんてことを思わなくもなかったものの、まあいいか、で済ませてしまえます、ホームズだから。
そちらにも書いたように、何度読んでも「最後の事件」はどんより寂しい気持ちになってしまう。生き返ることがわかっているのにもかかわらず、相当悲しいです。
だからね、今の常識で考えたらとんでもないことをしてもいるけれども、仕方がないじゃないか、とwwww

久々にお借りしたお題で書かせて頂きました。







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2010年01月06日(Wed)

笑顔

カテゴリー:お題でエッセイ記事編集

お題をお借りしたサイト様
夢一夜(ゆめひとよ)様(管理人:星野美咲様)

笑顔を作るだけでも病気が回復する、なんてことをいいますが、蛇蝎のように嫌いだというほどに嫌いな人間の笑顔でない限りは、どこの誰の笑顔も素敵なものです。

タイトルにもあるように、あたしは老人ホームに働く3K労働者です。
おじいちゃんおばあちゃんの笑顔によく癒されます。

介護員とはいえ人間なので、特別に好きな利用者さんもいたりしますが、たかがなくなった靴を見つけてきた、丁度誰かを探しているところに行きあった、というだけで輝くような笑顔をされるともう、前世というものがあったのならばあたしはこの人のことを産んでるんじゃないか、というぐらいに、愛おしくなります。
いえね、あたしはわりと、好き嫌いが激しいほうなので、そういう時の感激も少し大げさなのかもしれませんが。

特別のお気に入りとは言わなくても、利用者さんのことは基本的に好きだから、ちょっとお茶を持って行った、なんとなく上げた自分は使わないアクセサリーを喜んで使ってくれた、なんとなくに投げかけた言葉に喜んでくれた、という時の笑顔にも癒されます。

介護職は人気がないとはいえ、ハマってしまうとやめられないのは、わりと既に認知の症状の出たむき出しの感情をそのままに表現してしまうような方々と共にいることで、キレたりするのは病気の症状ではあるのかもしれないけれども、それでも表れている感情は嘘のないもので、ということは喜びも嘘のない笑顔なんだろうな、という部分も大きいのではないかしら、と思うほどです。
いえね、義理で笑ってくれてるんだな、とか、習慣としての笑顔なんだろうな、って思うこともあるんだけれども、それにしたってきっと、悪感情でやっているものではないし、それがこちらにも良く伝わる、とでもいうのでしょうか。

いえ、認知の症状のない方や軽い方とのお話も、自分よりもうんと年長の方と、年の離れた友人ででもあるかのようにお話をする、その中で笑顔を見られる、という日常にない経験が出来るわけで、楽しくはあります。
へぇ、と思うことを聞けたりもしますし。

なんだかねー、いい子ぶったようなことを書いているように見えるかもしれませんが、この仕事に関しては結構、そんな気分でいることは確か。

そもそもお年寄りと接する、という機会は、この職業に就くまではほとんどなかったのです。
だから色々なことが新鮮なのかもしれません。

小学校を卒業するまでは正月と盆に母の実家へ遊びに行きましたが、他にも親戚が沢山来ていたので、あまり祖父母と接してはいませんし、だいたい小学校卒業の時点ではすでに、祖父は亡くなり、祖母も病気をしていました。
父方となると、祖父は生まれる前に亡くなっていたし、祖母とは一度しか会ったことがありません。

どういうわけか店員時代には、やたらとお年寄りに話しかけられて、戦争の話を何人もから聞いたり、というのがありはしました。戦争の話は、若い世代にも伝えておかねばならん、と思ったお年寄りの無作為の選択というのがまずあって、もしかしたら一人目の人が、あの子は戦争の話をよく聞くぞ、というようなことをほかの老人へ伝え、口コミで白羽の矢が立ったのかもしれませんけれども。

でもね、ふいにサトイモの剥きかたを指南して来たり、とか、食卓の事情だとか、孫についてとか、買った服についてとか、なんであたしに話すのかよく分らないなぁ、というような。

が、これは別段お年寄りに限ったことではなく、「なにかお話をしたくてたまらない人」なのであろう人がふいにやって来て、なぜ大勢いるのにあたしのところへ来たのかしら、というような体験談やらなんやらを、別段、なにかの勧誘というわけでもなく話して来たり、異常なぐらいに派手な格好をしていてもやたらと道をたずねられたり、というのがあったので、多分、三つ子の魂百まで、という言葉通り、人見知りをしない赤ん坊だったので商店街の人たちとフレンドリーな関係を築いていた、という乳幼児時代の雰囲気を全開にしている時があるのかもしれませんけれども。

母が言うには、商店街の人たちに自分の持っているお菓子を上げて回ったり、商店街のおじさんおばさんに可愛がられるのがその頃の趣味(?)だったらしいですが、その頃の記憶がまだ、脳のどこかに残っているのだとしたら、人に喜んでもらえる仕事ともいえる今の仕事が楽しいのは、当然なのかもしれません。

介護職は本当に、手に職をつけましょう、親戚にも介護や看護職は多いから出来るでしょ、という程度ではじめたものであったし、そもそも幼稚園に上がる前のあたしが考えていた将来は、お話を作って色々なところを旅をして回って、それを読んで喜んでもらうこと、でした。
これは4歳ぐらいの頃にやたらと紙芝居を作っていて、周りの大人が喜んでくれていたから、というのが大きいのでしょうけれども。

その後、小説家やら漫画家、芸人、演出家、というようなものになりたいという夢を抱いていたのですから、介護職を選択してそれを続けている、しかも気にいっている、というのは、なりたかった職業のどれもが、笑顔を生み出すことのできる仕事であり、きっと反応や手ごたえが分りやすいもの、であり、しかしたまたまあたしにはクリエイティブな能力が湧いてこなかったので、身体を動かして喜んでもらえ、結果喜んでもらえればそれがダイレクトに自分に伝わる職業だから、なのかもしれません。

職業というものはどれをとっても、人に喜んでもらうためのもの、なのかもしれませんけれども。

あたしは人間が出来ていないから、教科書通りのことも出来ていないだろうし、利用者さんにとって良い選択が常に出来るわけではないんだけれども、変な言い方をするようだけれども、利用者さんのことは好きなので仲間意識のようなものを持っていて、だからその仲間意識を持てる人間が大勢いる、という状況は楽しいし、その人たちが喜んでくれたら尚嬉しいし、あたしのほうでもわりと上機嫌でいることが多いような気がします。
傍目にはどう映っているか知らないけれども。
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2009年10月25日(Sun)

感性

カテゴリー:お題でエッセイ記事編集

お題をお借りしたのは夢一夜(ゆめひとよ)様(管理人:星野美咲様)です。

病気柄(?)、IDDMの方のブログのハシゴなどをしてみます。
で、そーなんだ、と思った話。

記憶力が良いわけでもないので要約ですが、その方は決して外出先では人目に触れぬ場所でしか注射をしない、おむつ替えをレストランとしないのと同じようなことだ、と書いていらっしゃいました。
ああ、内臓が壊れたからそれを補うという行為は、おむつを人前で換えるに等しい行為をしているってことだと、彼以外にも沢山の人が考えているのだろうな、と思うと、しみじみと病気なんだなぁという気分になります。

そういえばあたしも、病院の食堂なんかでは、一般客もいるとはいえ荷物も多いし一人だしというので、今でも席でこっそりと打ってみたりしますが、他の場合には誰か一緒に人がいなければレストランに入らないというのもあって、食事が来る頃合いでトイレへ行って打つな、と。

いえ、病気になった当初は、これからずーっとこの病気で、しかも1型と診断されたからにはインスリン治療から薬に切り替わるということはないわけで、グダグダ考えたってしょうがない、何だあいつ糖尿かよ、とか思うやつがいたところで構うもんかと思っていたので、堂々としたものだったのですが、ある時、友人が行きつけのレストランへ一緒に行かせてもらうことになった時に、友人から、周りの人がいろいろと思うだろうからトイレで打ったほうが良い、と言われたのです。

当時はね、いいじゃん、別に、御手拭きで手を拭くののついでみたいな手順が1つ増えているだけでしょ、と思っていたのだけれども、まあ、その一件があった後から、ああ、そうなんだ、こんな病気のことはなるべく隠して生きていかなければならないものなのだね、なんてことを思ったものでした。
いらぬ軋轢やら詮索を受けないためには、家と会社と病院以外の場所では、注射なんてものが必要な人間だとはみられないように生きていけばいいのだね、と。

で、確かにそのほうがラクなのはラクなんですよね。
ひと手間は面倒なんですよ、とても。だから気持ち的な意味で。
人になんて思われるのかなんて関係ねーよ、と口では言っても、本当は気にならない人じゃないもので。

入院中にも患者用の食堂で、他の患者の見舞客のババァ(あえて言うけれども、ババァだ)に、「あら、糖尿なのね」と、なんだか妙に馬鹿にしたような響きの調子で言われた苦い経験があったものですから、性格上、関係ねーよ、と言い続けていたくもあるのだけれども、それでもやっぱりね、傷つくのなんか好きなわけがないでしょ。

でもどこか釈然としないところもあって、だってのどが乾けば水を飲むのとなにか変わりがあるの?とも思うわけです。
調子を良くするために薬で調節しているだけの行為は、心配されるようなことでも、馬鹿にされるようなことでもないじゃんよ、と思うわけですよ。

別にね、あたし自身とか、あたしの身内的に考えられる範疇にいる人間が、それをネタにしたところで、お互いの意思の疎通ができてりゃ、どうというものでもないんだと思うのだけれども、他の席に座っている赤の他人が、どうこう思うだけならばともかく、あれこれ口を出す話ではないんじゃないのかな、と。
だから別に、レストランでおむつを替えてしまうほどの罪を犯しているとも思わないの。
けれどもさ、前述の方は、注射という言葉だけでもイヤな人はいるのだから、と書いていらして、そういや専門学校の健康診断のころに、専門学校生にもなって血液検査の注射で泣いていた女がいたぞと思い出し、なかなかそんな風に他人の先端恐怖症にまでも気を配ることは出来なかったなぁとも、思ったのでした。

こういうのは感性の問題なんでしょ、と思うんだけれども、ということはやっぱり、無難を選択すりゃみんな丸く収まるってことだわなと、前述の人の意見に丸々賛同ってわけではないけれども、人前で打たないというのは、つまりいろんな感性の人がいるのだから、やめたほうがいいんだよ、ってことだよなと、すでに納得していたはずのことにもう一度納得したのでした。

てか、他のインスリン打っていらっしゃる方は、どうしてらっしゃるものなんだろうか。



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2009年03月01日(Sun)

文字

カテゴリー:お題でエッセイ記事編集

お題はこちらからお借りしました。
夢一夜(ゆめひとよ)様(管理人:星野美咲様)


文字といえば、伯母がお見合いをした時に相手に文字を書かせて観察した結果、なかなか上手だったからそれも結婚をした理由だ、というのがまずあって、うちの両親も、父の兄と母の姉がご近所さんだったので見合いをしたのだけれども、母は父に文字を書かせたそうだ。
結果は、あたしが存在しているのだから、父も文字が上手かった、というわけだ。いやしかし、多分に文字よりも、目の形が好きだった、というのがかなり大きな理由らしいのだけれども。

あたし自身の書く文字はといえば、子供の頃、今よりももっとノートをとることが苦痛だった。
勝手に考えた話ならば何ページも熱心に書き出すことが出来ても、板書や教科書を書き写す作業が出来ず、書いてもみみずののたくったような文字なので、自分でもあとから判読不能だったものだ。

幼稚園時代には、迷路やクイズの課題ならば負けず嫌いの性格のおかげかクラスで一番に解けるのに、単純なうずまきをなぞるという課題は、なぜか遅い上に下手くそだった。
当然、薄い文字をなぞる作業の多い「かきかた」の授業も苦手だった。

しかしそんなあたしも習字に通わされていた。
まず、じっと座って文字を書かされること自体が嫌いだったが、3年間ぐらい通った気がする。
これまたなかなか上達せず、色紙に課題の文字を書く、という課題をやった時には、どうにも最後の文字にたどり着く前に集中力が途切れてしまうそれを、先生がおまけで合格にしてくれたものだった。

ある時期から、丸文字を書くようになった。
小学校6年生だったか中学に上がってからかは忘れてしまったけれども、好きなタレントが書く文字をカワイイと思い、しかしその人が50音表を書いていたわけではないので、自分なりに傾向を掴んで、多分こうであろうという具合でひらがなから矯正した。
漢字もその伝で、大体の傾向を考えて矯正していった。
似たように書けた、とはいえないけれども、それまでと比べたら、人類が文字を手にいれた、というのと同じほどに、ノートが変わったことに自分でも驚くほどだった。

そのうちに自分のクセが加わり、あるいはその頃の流行やらなんやらで、ちょっと飾り文字風味になったりとんがり気味になったりという紆余曲折かあって、今に至る。
正直、未だに下手くそだし、普段書く文字はちょっと男っぽい丸文字なんではないかと思うんだけれど、子供時代に比べたらそれなりに読める文字が書けるようになった、と自分では思う。
年中提出する書類はそれで通すけれど、これはというものならば、多少はいつもの文字よりも大人文字(いや、今や丸文字は80年代を生きた人のもので、十分に大人文字だけれども)で書ける、とも思っている。

というわけで、どうせならば日ペンの美子ちゃんを髣髴とさせるような文字のほうがベターだとはいえ、丸文字はあたしの中では容認される範疇の文字で、そういえば一時期、もう丸文字ではなく大人文字を書くぞ、などと思っていた時期に働いていた店の上司が丸文字で、デキる人だったので尊敬をしていたから、結局自分も丸文字に戻った、ということもあった。

その後に勤めた、喧嘩になる前に上司の上司に掛けあって有給もほぼ使えるようにして辞めた店の上司は、中高年のお客様に人気の出るようなタイプだったけれども、喧嘩をそれなりに回避したかもしれぬとはいえ気に食わぬ部分も多々あったのではあるけれども、書き文字があまり上手ではなく、なぜかそこが非常に気になったものだった。
自分が好きなタレントの文字を真似る事を発見するまでは、文字の形をとる事など無視していたことを忘れたように、少し頑張ればここまで崩れた字を書くことはないだろうなどと思っていたものだ。まあね、正式な書類をどんな風に書いていたかは知らないわけだけれど。

あと数年で40歳になってしまうことを考えると、きれいな文字に憧れて山ほど買ったのに買っただけとなっている、一時期流行った「えんぴつでなぞる○○」シリーズをやって、練習するべきなんだろうなぁとは思うのだけれども、自分の中の丸文字容認度が高いので、いいや別に、下手でも読めないってわけじゃないハズだもの、と思っている。


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