FXの知識 介護福祉士で1型糖尿病のレビューとつぶやき帳-国内小説-
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2013年03月23日(Sat)

abさんご/黒田夏子/文藝春秋

カテゴリー:国内小説記事編集


abさんごabさんご
(2013/01/20)
黒田 夏子

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読了してから感想を書くまでに、かなり日が経ってしまった。
風邪をこじらせたり、単純に時間がなかったりというのもあったけれども、やはりあたしは学習をして来なかった人間だということに、コンプレックスのあるタイプなのだろうと思う。
難しい、とされる本への感想を書くことを、気軽に着手できなかった、というのも理由だと思う。

横書きでひらがなを多用していることも受賞に関わっているのだろうが、読み辛い。
しかし読み辛さがあるから、描かれた世界を頭にしっかりと描くことが出来る。
恥ずかしながら、段落に一度目を通しただけでは、意味がよく頭に入らない部分が多く、仕方なく二度読んで、ということを、かなり繰り返して読了したのだが、繰り返すうちに、自分の読解脳力の足りなさもあるとはいえ、読みづらさこそがこの小説の魅力を増すものにしているのかもしれぬ、という気がしてくる。

二度目に読むと、一度目にはよく頭に入っていなかった言葉たちが、映像になって頭のなかに浮かんでくるのだ。
読み辛いとはいえ、漢字で書かれない言葉たちのどれもすぐに意味の取れるものばかりであったし、その軟らかな字面は、読み手と物語の間に横たわる、印刷された紙、というものそのものを軟らかく感じさせて、容易にその世界に身を委ねやすくする効果もあるのではないか、と感じた。

今、あたしの側には、言葉を吸収している途中の、2歳半になる甥がいるが、彼が言葉とそれの意味する物事や物質とを結びつけていく過程は、言葉と世界との壁がどこかぐんにゃりした不可思議さのある、この小説の持つ雰囲気に、近いのではないだろうか、とでも言えばいいのだろうか。

蚊帳の表現はこの物語上では、やわらかい檻でなければならなかったし、傘も、回りくどくても、天からふるものをしのぐどうぐ、という用途を表す言葉ににすることで、更にそのものに近づけたかった、というようなことを、筆者は語ったそうだが、それこそまさに、言葉を獲得していく時に必要な物だろうし、だからこそ名前を書いてしまえば簡単に伝わるであろうものを、回りくどく書くことによって、そのものが頭へ連想されやすくなっているのだろう。

内容自体はまとめてしまえば、主人公は幼くして母をなくし、長じてから父子家庭に割り込んだ女が出てきて、少なくとも子供にとっては家庭は崩壊し、捨てざるを得ませんでした、長い時を経て、今度は父も亡くしてしまいましたが、そこまでの長い時間に、選び取れるはずだったものをも選ばぬままで過ごした子供は、介入しなかったからこその「今」に不満を抱いているものの、曖昧なものを曖昧に選ぶ子供時代の懐かしさへ緩慢に身を委ねるのでした、で終わるようなもの。

間違ってたらごめん、だけれども、お話自体はそんな具合だと思う。
あたしに言わせれば、十代には耐え難い場所であったのだろう家を、はたちすぎて捨てたとはいえ、その後、親子であるからこそ許しあえるべき、というか、子供時代の関係性を見ても、きっと許し会えたのではないかと思うのに、心の弱さや生活の困窮を盾に、主人公の中ではいつまでも家を乗っ取った家政婦でしかない女性に、家と父親を任せきりにして、それを美しく回想しているんだから、貧乏暮らしを耐えてきたといったって呑気なもんだね、ってなところがなくもない。

aを選ぶかbを選ぶかの選択を迫られたものの、どのみちどちらも選択させては貰えなかった子供は、はっきりとした顔を持たず、家も、くっきりした輪郭を持って迫っては来ない。

けれどもなぜか、文意を理解できた、と感じるとともに、そこにある風景は頭のなかに広がる。
こんなに不思議な読書体験は、確かにあまりしたことがない。

非常にありがちな家庭不和をインテリ家庭が抱えて、インテリ家庭だからこそなのか、表面的な言い争いやいがみ合いなどはなく日が過ぎて、結局のところ主人公が選びとったものは「家出」であり、それであったところで嫌なものからの逃走でしかなく、その後に家とかかわらなかったのもまた、事情はあるにしても積極的な選択などではなく、家から逃れる行為でしかなく、自分の持って行った美しい紙を同級生に奪われても頓着せずに、あるものでそれなりの物をこしらえた子供は、そのままの人生を歩んだんですよってだけの話。

であるにもかかわらず、その字面がなのか、回りくどさが逆に文面をくっきりとさせるからなのか、描かれた内容を好きなものとは感じられないのに、この小説は美しいし、人間の持つ弱さを感じさせる。
弱さと同時に、そんなものにも気づかずに生活できてしまえる強さも、感じさせる。

これは本当に、面白い体験だった。

さて、同時収録されている「タミエ」という少女の出てくる話だが、3篇とも、無垢だと思われているものの中にある、無垢ではないものと、無垢ではないように見えながらも無垢だからこそ起こる感覚、というものを扱っているのだろう。

「虹」は少々、あざといような気がした。短編ミステリーにありそうな雰囲気。
「鞠」は、無垢であるからこそ犯す罪や、無垢であるからこそついてしまうウソ、というものが、妙に迫ってくる。
実際のところ、変に正直なあたしは、タミエのようなことをしたことがないが、気持ちは分かる。

「タミエの花」は、そうだこれはまるで、自分には処理の難しい気のする感想文を、どうにか間違いのないように書きたいと願っている、今のあたしみたいだ。
扱いかねる気のするものへの感想は、本でも、事象でも、タミエが勝手に名付けた花の正式名称を告げた男、というような存在が、気にかかる。
そういった存在はけれども、タミエが最終的に男に感じた立ち去り難さのようなものを見せてくれはするのだ。

たて書きの3篇は、「abさんご」に比べてとても読みやすい。
読みやすい上に、普通の文章でありながらも頭にすんなり情景が浮かぶ。
「abさんご」での、ああ、この感じだ、という浮かび方ではなく、単純に浮かぶ。
子供の心情が非常にわかりやすく迫ってくる。

これはきっと、ピカソもきちんとしたデッサンが出来る上でキュビスムを選びとった、というのと、同じ事なのだろう。
「abさんご」はピカソにおけるキュビスムのような作品であるからこそ、わかりづらくとも美しさを感じさせるのであろう。

最後に。
筆者である黒田氏が女性誌に、結婚をしなかったのは結婚をしたり子を作ることで執筆へのエネルギーを取られたくはなかったから、と語ったというのを、つい最近読んだ。
尊敬できる人だ、と思った。
きっと変わった人で、そばにいたら難しいところもありそうだけれども、尊敬できる。

その昔あたしは、小説家になりたかった。
そのつもりで、あまり稼ぎの良くないシフトでバイトをし、それなりに文章を書きもしたが、投稿をしたものはその中の数篇でしか無かったし、どれもこれも拾ってもらえはしなかった。

あたしも強く強く、結婚だの母になるだのという贅沢はしなくていいですから、あたしに作品を生み出さえてください、人間一人に振り向けられるだけの膨大なものを、あたしに作品としてお与えください、と祈ったことがあった。
特定宗教に属しているわけではないから、なにに祈った、というわけでもないのだけれども、強く願った。

同じ事を思ったあたしは、しかし彼女のような輝かしい学歴もなく、底辺高校と作文で入れる専門学校が最終学歴である、というだけでなく、彼女ほどの強さを持ってもいなかったし、彼女ほどの物語を開く力も持っていなかったのだけれども、そもそも教師という安定職を捨ててまでバイトをしながら小説を書いたという彼女の強さがあってこそ、非常に無為に過ごしたように見える主人公の曖昧さが、それだけにとどまらぬものに昇華しているのだろう。

久々に「75歳の受賞」というのにミーハー心を起して、ハードカバーを買ってしまったが、読んで良かった。



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スレッドテーマ:本の紹介 ジャンル:小説・文学
 
│posted at 16:53:18│ コメント 0件トラックバック 0件
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