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2013年10月15日(Tue)

倒立する塔の殺人/皆川博子/PHP文芸文庫

カテゴリー:国内推理小説記事編集


倒立する塔の殺人 (PHP文芸文庫)倒立する塔の殺人 (PHP文芸文庫)
(2011/11/17)
皆川 博子

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かなり昔に皆川博子さんの本を読み、美しいと思ったことを思い出したこともあって、今回取り上げるこれではなく、本格ミステリ大賞を受賞している『開かせて頂き光栄です』を購入したのだけれども、そういえば以前に新刊コーナーで『倒立する塔の殺人』を見かけ、まず表紙が美しくて目を引いたので手に取り、皆川さんの本だというので非常に気を引かれたことを、それで思い出した。

お金の都合だったか、少女小説的なのではないかと----事実、読後に読んだ解説に三浦しをんさんが、元々はヤングアダルト向けとして発行されていることを書いてらしたけれども----その時には買わなかったものを、つい最近、大型書店のある街へ赴いた際に、まずは最初に心に引っかかったこれから読んでみようと、購入してきたのだ。

購入したものの時間を取れずにいたのだけれども、休日を無為に過ごしてしまった罪悪感から、明日も休みだからと夜になって読み出し、大きな音でTVを見る両親に、時折、はっと現実に引き戻されはしたものの、大方、夢中になって読み耽った。
そうして、全文をまとめて読める日にこれを手に取ったことを、とても嬉しく思った。

その御蔭でずっと、手記を読むことを託されたベー様こと阿部欣子のように、時折中断されつつも託された時に手記を読む、同じ体験ができた。
この物語の世界に浸りきった身には、非常に嬉しいことだった。
女子校の校風にそぐわぬ逞しい欣子は、手記を託した三輪小枝(さえだ)でなくとも、頼もしさを感じられる少女であり、読者もしばし彼女になったかのように、自分なりの推理を展開していける小説だ。
一筋縄ではいかぬ小説でもあるのだけれど。

舞台は戦中から戦後の日本。
どちらも良家の子女の多い、ミッションスクールと都立の女学校の生徒たちの、非常に美しく儚い恋慕やら、少女らしい気高さをみせる物語と同時に、学徒勤労動員だとか忠君愛国、飢えや空襲、戦地に赴いていった家族や友人の喪失も進行していく。

大人たちが勝手に起こした争い事やそのために失った家族という痛みをも凌駕するように、大人でも子供でもない場所へ留まったものの抱える美学の物語が、綺麗に、違和感のないものとして胸に迫ってくる。
美と喪失、無についてが描かれて入るものの、若さの持つ強さが鮮明に胸に狭っても来る。
ミステリーを読んだのではあるけれども、とても綺麗な、端正に描かれた少女小説を読んだのだ、という気持ちにもなれる。

良家の子女だらけの学校の中で、青物屋の娘でありながら体力で合格して通う阿部欣子は、「イブ」というアダ名を、異分子であるがゆえに付けられていたものの、特に意地の悪いことをされるわけでもなく、本人も非常に強さと優しさを兼ね備えた少女。

彼女は打ち解けて話せて、自分をベー様と唯一呼んでいた友人を空襲でなくし、闇米を買いに行った母を空襲で亡くし、同じ日に栄養失調で体調を崩していた妹までもを亡くしている。
父は戦地に赴き、家は空襲で焼けたので防空後に暮らし、という有り様だったのだけれども、空襲で死んだ友人の次に学徒勤労で組むこととなった、三輪小枝の住む家に寄せてもらえることになる。

本当に心の底から、なんてことだと思うのは、彼女が母と妹を同時に失うのが、昭和20年8月5日だった、ということだ。戦争の残酷さが迫ってくる。

三輪小枝もまた、疎開していた母と弟妹を阿部欣子よりも前、7月17日に空襲で亡くし、それより前には父が戦地で病死していたものの、叔母の家が焼け残っていて、そこを提供してもらえたのだ。華奢な小枝を護るように作業する欣子に心を開いて、彼女もまた、イブをベー様と呼ぶようになっていた。

その小枝が慕っていた年上の成人女性で、ミッションスクールの専門生であったが空襲で亡くなった上月葎子の死が、小枝にはどうしてもしっくりと来ずに受け入れられない。
それで、今や頼れる人間の筆頭であり世界を共有しても構わぬ存在の欣子へ、以前に葎子から託されたノートを託し、真相を見ぬいて欲しいと頼むのだ。
ノートは、少女たちの間で流行っているのだという、リレー小説的なものに、彼女たちの心の中を吐露する手記の混ざったものだった。

いわゆるシスターフッド的関係、吉屋信子的なお姉さまの世界が手記の中に展開されるものの、彼女たちには心に秘める異性の存在があり、どちらかといえば彼女たちは、恋愛の代行としてではなく、心から打ち解けることの出来る人を求めて、恋愛ごっこをしているのだろう。
性的なものの含まれないぶん、少女たちにとってそれは、ただ愛おしさに胸を焦がして誰かを思い、少女としての穢れない存在も保つ、楽しい時間なのだろう。

さて。
多少のネタバレ。

ある人物がかなり初期の段階で、何かしら事件に関与するであろうことは、なんとなく予感できる。多少執拗な気のする描写や、その後に出てくる手記で印象の違う描かれ方をする点などで、きっとどこかでは絡むんだろう、ということは気付く。

260ページあたりで暴かれることも、これは結構早い段階で、この手のものを読んでいる人は気付くだろうし、欣子も同様に気がついている。

この手記の書き手は、全員、言っている通りの人物なのだろうかという疑問もまた、当然に湧いてくるのだけれども、それでもやはり、驚かされる展開であった。

手記内小説に出てくる女性の名前は、さり気なく真実を示唆するけれども、しかしその名前と、手記内小説で不審な死に方をした教師が口にした女性の名前の類似にもこだわり、欣子のように名前に秘められた恐ろしい意味を導き出すことは出来なかった。

あとから言われれば、なんというなかなかに真っ向勝負な話だったんだろう、ってな描写もね、欣子が気が付き、真の探偵がまとめあげていったあの感じ、面白かったし、真の探偵へとても暖かい気持ちになれた。たぶん、解説の三浦しをんさんも、真の探偵にそんな気持ちを持ったんではないだろうか。

そうして手記は、なかなかに意外な人間が締めくくるのだけれども、この辺の件を書いてしまうとあまりにネタバレだからきちんとかけないんだけれども、その手記の描き上げられる過程に心に暖かなものを感じずにはいられないものだった。

ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』『白痴』の二作と、エゴン・シーレの絵画、日本語に訳されたクラシック音楽の合唱曲といったものたちが、物語を彩ります。
今年はやけに、ロシア文学者さんのエッセイを読んだこともあって、ドストエフスキーづいている。

『カラマーゾフ』が実は未完の小説であることは、真相を自分なりに考えて書き継がれる小説に関係有るのかしら?

真犯人が恋い焦がれつつも憎んだ真の被害者とも言える人物は、ナスターシャ的なのだろうか?
彼女の幼い日の傲岸さが真犯人の中にあった善と悪を分断させて、ついにロゴージンと同じ道をたどったのだろうか?

真犯人の殺害方法であったりの不確実性というか、曖昧さは、真の被害者が全く真犯人へ感心を示さなかった上に、ボタンの掛け違いで真犯人の意図する関心を向けることなく、『白痴』の三角関係のようにもなれなかったから、なんだろうか?
いや、強烈な嫉妬と殺人、ということなのかもね。

なんだかんだで『罪と罰』について、真犯人が言及してもいるんだけれども。
そういや、あたしが全く知らん話だったんで書き忘れたけど、アンリ・バルビュスの『地獄』も、なかなかに重要モチーフだった。

戦争の爪あとも青春の残酷さも美しさも全てを吸い込めるような、ミステリーでした。
読み返すとなんかもっと、色々発見がありそうな気がする。

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2013年06月16日(Sun)

QEDベイカー街の問題/高田崇史/講談社文庫

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QED ベイカー街の問題 (講談社文庫)QED ベイカー街の問題 (講談社文庫)
(2003/09/12)
高田 崇史

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シャーロック・ホームズ絡みのものを見つけると読みたくなる私。
つい最近、ここにも感想を書いた「犬の伊勢参り」をアマゾンではないサイトで購入したため、送料無料にするためにほかにも本を頼んだのでしたが、それがこの本でした。
以降ネタバレあるので「続きを読む」からお願いします。
続きを読む≫
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2013年06月03日(Mon)

犬の伊勢参り/仁科邦夫/平凡社新書

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犬の伊勢参り (平凡社新書)犬の伊勢参り (平凡社新書)
(2013/03/18)
仁科 邦男

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読み始める前からすでに心惹かれていましたが、読み終えた今も、素敵なものを読んだと心がほのぼのとしたものに満たされています。

5/26日のことです。
夜勤に出かける前の時間に、読売新聞書評欄を読んでいたのですが、この本についてを読んだ時の胸のときめきったら!

犬がお伊勢様参りをした、というのです。しかも何匹も!
牛や豚までもが詣でた、と。

何らかの事情で飼い主がお伊勢様へ行きたいが自分はいかれぬと、犬に代理で参拝してもらうことにし、クビに道中必要な金と、犬の帰るべき場所と、伊勢参りへ行くのだということを記した紙を括りつけ送り出すと、人々の善意に支えられて、犬が御札を貰って帰ってくる、しかも戻りのほうが多いお金を持って帰ってくるという、非常に奇異な話。
不思議な話なのに、何例もあったのだというのです。

これが本当だとしたら、日本はなんて美しい素敵な国であったかと思わせてくれる本だと、強く強く惹かれました。
不思議な話が好き、というのもあるけれども、短い紹介文だけでも、人々の善意の溢れ出るような様子が感じられ、読まねばならない、と感じました。

読みたくて読みたくてたまらない気持ちになり、しかしこのところ通販をやたらと使っているからと、本屋で探すことを選択し、夜勤中にも旅する犬のことが頭から離れぬほどでしたけれども、明けの翌日に本屋へ行きました。
しかし、3件回っても在庫がない。

仕方がないとAmazonへ行ったらば、少々色のついた値段の中古しかない様子。
しかし、読みたい。
うまい具合に、セブンネットで再販を予約できることが分かり、6月中旬頃まで待たねばならないようだけれども、読まねばならぬ積ん読も多いから先になっても構わないかと予約したんでしたが、5/31に届きました!

で。
6/1が夜勤だったので、日付的には6/2となる待機時間で読むことにする。
意に反し、というか、本来仕事をしに行っているので思ったほど読書する時間はなく、2章の頭までしか読めなかったのですが、同日中に読了。
本気で面白い読み物でした。


明けで帰宅し、風呂や食事後の仮眠後、甥が来ていたので遊んだり、甥が帰宅してすぐ夕食の時間があったり、頭痛がするので熱を測ったらあたしにしては高めのもうすぐ微熱ゾーンで、今後休みになっては困るのでもう一度眠って、という時間もありはしたものの、目覚めて続きを読み出したらもう、先が読みたくて仕方がなかったです。

お伊勢様では穢れを持ち込むからとそもそもは犬を忌諱していたそうなのですが、明和八年に一匹の犬がお参りをしたことをきっかけに、犬の伊勢参りが始まったそうなのです。

この犬、神社の前でおかげ参りの人々と混じって振舞われたおにぎりを食べていたそうなのですが、きちんと御手水の水を飲んで(まあ、犬なのですすぎはしない)、お宮前で「平伏」したのだというんです。伏せをしたんでしょうが、その様子を尋常でないと思った宮人が首に御札をつけたのだそうです。

しかもその犬、外宮でお参りをしたあとに内宮へと向かい、話が伝わっていなかったからそちらでは一度追い払われたのだけれども、裏に回ってお宮前へ行きまたまた平伏し、これで神官も追い出すわけに行かなくなった、ということです。
他の犬がこの犬に吠えかかることもなく、たちまち評判になったので犬を一目見ようと人々が集まり、と大騒ぎになったようです。

犬でも神徳に惹かれてお参りをしたいのだとか、お参りはしたいが自分は行かれないから犬に参拝してもらおうという人が出たりで、その後100年ほど、不思議ではあるけれども珍しくはないこと、としてあった風景だというんです。

とはいえ勿論、実際に目にしなかった人の中には懐疑的な文章を残す人もいたり、目にしても、犬に信心があるわけではないのだしという意見もあったようですし、かの司馬遼太郎はといえば、どこかの街に残る伊勢参りをした犬のことを、夢物語と断定さえしてしまっているんですが、しかしこれ、事実だったようなのです。

中には、これはお伊勢様に行きたいに違いないという勘違いで、お伊勢様まで行って御札を貰って帰った犬もいたそうで、多分勘違いであろう理由で青森から行って帰った犬もいたのだそう。
船に乗らねばならぬ時にも、犬も乗せてもらっていたり、その様子を思い浮かべるだけで、楽しくなれる気がします。

勿論、犬がお伊勢様へお参りをしなければならぬと思い立ったわけではなく、人間の気持ちが大きく作用している話ではありますし、犬のほうでもどうしてそんな長旅をするのか分からぬまま歩いていたんでしょうけれど、犬の首につけたものが重くなれば、きちんと宿場から宿場へと役人が申し送って届け、犬の方も人間の手を借りて目的を果たし、ということが何例もあったというのは、非常に美しい話です。

勿論中には、首の銭を奪われた犬もいたそうですけれど、かなりの例外であって、お伊勢様へ行く犬は、威厳ある尊敬されるものであった様子。
残っている資料にある、犬をお伊勢様へ詣らせたい、詣でた犬を無事に故郷へ送り届けたい、という善意の人々の気持ちの真摯さは、心打たれる真面目さがあります。

お伊勢様は最初は、天皇家のためにのみ存在する神社さんだったそうです。
時代が下り、庶民もお参りできるようになると、当時はお伊勢様まで一生に一度は行きたいというのが庶民の夢でもあったので、観光と信仰を兼ねた旅ができるように、相当大きな歓楽街もあったりして、わりと混沌とした様子が、神宮の周りにはあったそうです。
お金目当ての怪しげな人々も色々と居たそうですけれども、聖と俗が混ざり合うような中で、犬だの豚だのがお参りに向かい人間はその手助けをする、という良心溢れる話は、日本人でよかったと感じさせてくれます。

なぜ豚までもがお参りをしたのかというようなことも、資料をあたって書かれていたり、伊勢神宮が犬のお参りを許す以前に、相当苦労して犬を追い払っていた歴史についても書かれており、不思議話だけではない面白さのある本でした。

なんとも不思議で善意溢れ、心から読んで良かった一冊。
犬を支えた人々の真面目さと良心は、人間は根っこの部分はみんな善いものなのだと信じ込めてしまいそうになるぐらい。
明治に入り、それまで犬を飼うというよりは、町や村みんなで犬を世話していた時代が終わり、それどころか飼い主の明確でない犬は撲殺せよというお触れまで出て、犬と人間の素晴らしくも不思議なお話は、終わりを告げるのです。

最後にお伊勢様を詣でた犬は、実は撲殺を避けるために善意の人が自分の名前を書いた木札を首につけてやったことで、これはお伊勢様へ行く犬だと勘違いした人々の手によって、お伊勢様へお参りを果たし、帰ってきた時には行李1つ分の荷物を持ち帰ったそうです。
行李は勿論人々が宿場から宿場へ運んで持ち帰ったんですが、さらに6円のお金も持ち帰ったのだそうです。

これはね、ほんとうに心が暖かくなる本だと思いましたので、非常に強くおすすめします。
大らかさは近代化と相容れぬものなんでしょうね。


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2013年03月23日(Sat)

abさんご/黒田夏子/文藝春秋

カテゴリー:国内小説記事編集


abさんごabさんご
(2013/01/20)
黒田 夏子

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読了してから感想を書くまでに、かなり日が経ってしまった。
風邪をこじらせたり、単純に時間がなかったりというのもあったけれども、やはりあたしは学習をして来なかった人間だということに、コンプレックスのあるタイプなのだろうと思う。
難しい、とされる本への感想を書くことを、気軽に着手できなかった、というのも理由だと思う。

横書きでひらがなを多用していることも受賞に関わっているのだろうが、読み辛い。
しかし読み辛さがあるから、描かれた世界を頭にしっかりと描くことが出来る。
恥ずかしながら、段落に一度目を通しただけでは、意味がよく頭に入らない部分が多く、仕方なく二度読んで、ということを、かなり繰り返して読了したのだが、繰り返すうちに、自分の読解脳力の足りなさもあるとはいえ、読みづらさこそがこの小説の魅力を増すものにしているのかもしれぬ、という気がしてくる。

二度目に読むと、一度目にはよく頭に入っていなかった言葉たちが、映像になって頭のなかに浮かんでくるのだ。
読み辛いとはいえ、漢字で書かれない言葉たちのどれもすぐに意味の取れるものばかりであったし、その軟らかな字面は、読み手と物語の間に横たわる、印刷された紙、というものそのものを軟らかく感じさせて、容易にその世界に身を委ねやすくする効果もあるのではないか、と感じた。

今、あたしの側には、言葉を吸収している途中の、2歳半になる甥がいるが、彼が言葉とそれの意味する物事や物質とを結びつけていく過程は、言葉と世界との壁がどこかぐんにゃりした不可思議さのある、この小説の持つ雰囲気に、近いのではないだろうか、とでも言えばいいのだろうか。

蚊帳の表現はこの物語上では、やわらかい檻でなければならなかったし、傘も、回りくどくても、天からふるものをしのぐどうぐ、という用途を表す言葉ににすることで、更にそのものに近づけたかった、というようなことを、筆者は語ったそうだが、それこそまさに、言葉を獲得していく時に必要な物だろうし、だからこそ名前を書いてしまえば簡単に伝わるであろうものを、回りくどく書くことによって、そのものが頭へ連想されやすくなっているのだろう。

内容自体はまとめてしまえば、主人公は幼くして母をなくし、長じてから父子家庭に割り込んだ女が出てきて、少なくとも子供にとっては家庭は崩壊し、捨てざるを得ませんでした、長い時を経て、今度は父も亡くしてしまいましたが、そこまでの長い時間に、選び取れるはずだったものをも選ばぬままで過ごした子供は、介入しなかったからこその「今」に不満を抱いているものの、曖昧なものを曖昧に選ぶ子供時代の懐かしさへ緩慢に身を委ねるのでした、で終わるようなもの。

間違ってたらごめん、だけれども、お話自体はそんな具合だと思う。
あたしに言わせれば、十代には耐え難い場所であったのだろう家を、はたちすぎて捨てたとはいえ、その後、親子であるからこそ許しあえるべき、というか、子供時代の関係性を見ても、きっと許し会えたのではないかと思うのに、心の弱さや生活の困窮を盾に、主人公の中ではいつまでも家を乗っ取った家政婦でしかない女性に、家と父親を任せきりにして、それを美しく回想しているんだから、貧乏暮らしを耐えてきたといったって呑気なもんだね、ってなところがなくもない。

aを選ぶかbを選ぶかの選択を迫られたものの、どのみちどちらも選択させては貰えなかった子供は、はっきりとした顔を持たず、家も、くっきりした輪郭を持って迫っては来ない。

けれどもなぜか、文意を理解できた、と感じるとともに、そこにある風景は頭のなかに広がる。
こんなに不思議な読書体験は、確かにあまりしたことがない。

非常にありがちな家庭不和をインテリ家庭が抱えて、インテリ家庭だからこそなのか、表面的な言い争いやいがみ合いなどはなく日が過ぎて、結局のところ主人公が選びとったものは「家出」であり、それであったところで嫌なものからの逃走でしかなく、その後に家とかかわらなかったのもまた、事情はあるにしても積極的な選択などではなく、家から逃れる行為でしかなく、自分の持って行った美しい紙を同級生に奪われても頓着せずに、あるものでそれなりの物をこしらえた子供は、そのままの人生を歩んだんですよってだけの話。

であるにもかかわらず、その字面がなのか、回りくどさが逆に文面をくっきりとさせるからなのか、描かれた内容を好きなものとは感じられないのに、この小説は美しいし、人間の持つ弱さを感じさせる。
弱さと同時に、そんなものにも気づかずに生活できてしまえる強さも、感じさせる。

これは本当に、面白い体験だった。

さて、同時収録されている「タミエ」という少女の出てくる話だが、3篇とも、無垢だと思われているものの中にある、無垢ではないものと、無垢ではないように見えながらも無垢だからこそ起こる感覚、というものを扱っているのだろう。

「虹」は少々、あざといような気がした。短編ミステリーにありそうな雰囲気。
「鞠」は、無垢であるからこそ犯す罪や、無垢であるからこそついてしまうウソ、というものが、妙に迫ってくる。
実際のところ、変に正直なあたしは、タミエのようなことをしたことがないが、気持ちは分かる。

「タミエの花」は、そうだこれはまるで、自分には処理の難しい気のする感想文を、どうにか間違いのないように書きたいと願っている、今のあたしみたいだ。
扱いかねる気のするものへの感想は、本でも、事象でも、タミエが勝手に名付けた花の正式名称を告げた男、というような存在が、気にかかる。
そういった存在はけれども、タミエが最終的に男に感じた立ち去り難さのようなものを見せてくれはするのだ。

たて書きの3篇は、「abさんご」に比べてとても読みやすい。
読みやすい上に、普通の文章でありながらも頭にすんなり情景が浮かぶ。
「abさんご」での、ああ、この感じだ、という浮かび方ではなく、単純に浮かぶ。
子供の心情が非常にわかりやすく迫ってくる。

これはきっと、ピカソもきちんとしたデッサンが出来る上でキュビスムを選びとった、というのと、同じ事なのだろう。
「abさんご」はピカソにおけるキュビスムのような作品であるからこそ、わかりづらくとも美しさを感じさせるのであろう。

最後に。
筆者である黒田氏が女性誌に、結婚をしなかったのは結婚をしたり子を作ることで執筆へのエネルギーを取られたくはなかったから、と語ったというのを、つい最近読んだ。
尊敬できる人だ、と思った。
きっと変わった人で、そばにいたら難しいところもありそうだけれども、尊敬できる。

その昔あたしは、小説家になりたかった。
そのつもりで、あまり稼ぎの良くないシフトでバイトをし、それなりに文章を書きもしたが、投稿をしたものはその中の数篇でしか無かったし、どれもこれも拾ってもらえはしなかった。

あたしも強く強く、結婚だの母になるだのという贅沢はしなくていいですから、あたしに作品を生み出さえてください、人間一人に振り向けられるだけの膨大なものを、あたしに作品としてお与えください、と祈ったことがあった。
特定宗教に属しているわけではないから、なにに祈った、というわけでもないのだけれども、強く願った。

同じ事を思ったあたしは、しかし彼女のような輝かしい学歴もなく、底辺高校と作文で入れる専門学校が最終学歴である、というだけでなく、彼女ほどの強さを持ってもいなかったし、彼女ほどの物語を開く力も持っていなかったのだけれども、そもそも教師という安定職を捨ててまでバイトをしながら小説を書いたという彼女の強さがあってこそ、非常に無為に過ごしたように見える主人公の曖昧さが、それだけにとどまらぬものに昇華しているのだろう。

久々に「75歳の受賞」というのにミーハー心を起して、ハードカバーを買ってしまったが、読んで良かった。



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2013年02月25日(Mon)

オードリー・ヘップバーンという生き方/山口路子/新人物文庫

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オードリー・ヘップバーンという生き方 (新人物往来社文庫)オードリー・ヘップバーンという生き方 (新人物往来社文庫)
(2012/11/07)
山口 路子

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あたしにとって「ティファニーで朝食を」は、あくまでもカポーティの小説であった。
映画は、きちんと腰を据えてみたわけではなく、「Aチーム」のハンニバルが出演した映画だから、という理由でテレビ放映されたものを見たというだけだ。で、そののちにカポーティが来るんだけれども、そのくらい映画に印象を持たなかった、あくまでも美しくおしゃれで、ハンニバルも出た映画、というだけだったのだ。
そもそも恋愛映画というものを殆ど見ないので、そんな感想だったのだけれども。

オードリー・ヘップバーンの出演作品には恋愛ものが多いこともあって、考えてみればあれだけビックタイトルである「ローマの休日」も、ミステリーらしいよというんでチェックした「暗くなるまで待って」も、テレビ放映されたものをなんとなく見た程度でしかなかった。

しかし、あれほどキュートで、ポップなイメージもエレガントのイメージもどちらも持ち合わせたキャラクターの女優に、興味を持たないわけもない。
長身、痩躯、印象的な瞳、という彼女の印象は、シンプルなドレスが似合うし、肉感的な女優よりもより、ポップとエレガントを行き来できる雰囲気にしているのだと思う。
興味はあるが、出演作品があまり興味のないものだ、というようなままであった。

そうしてもう一つ。
以前は映画雑誌を定期的に購入していたのだが、多分、その頃に見た記事で、彼女が何度も持ち込まれたアンネ・フランクの役を、「自分の青春とかぶって耐えられないから」という理由で断ったというのを知った時に、あたしの読書人生の中でもアンネ・フランクの存在はとても大きいこともあって、たった15歳で、ユダヤ人であるが故に隠れて生活をし、収容所に入れられて、最終的に劣悪な環境でチフスにかかって亡くなっていった少女の一生を、同時代に戦争の苦しみを体験したとはいえ、スターが同一視していることに違和感を覚えたこともあって、なんとなく手に取らなかった、というのもある。

無論、ヘップバーンが十代で、反ナチスのレジスタンス運動家でもあったということは知っていたのだけれども、それでもアンネ・フランクの存在はあまりにも大きく、何度か、やはりヘップバーンの映画は基本としてみておくべきではないだろうか、と思っていたのに、熱心にならなかった。

ではなぜ、この本を手にとったのか、といえば、妹が貸してくれたから、という理由だった。
あたしの妹というのが、驚くほど本を読む習慣のないまま過ごしてきた人間なのだけれども、その彼女がわざわざ、Amazonで買っておいて欲しいと頼んできた本であり、しかも割と早く読み終えたらしい、というのもあり、ヘップバーンに対する興味はあるので、自分も読みたいと借りたのだ。

そのわりこのところ、妹の読書習慣の無さを驚きだと言ってしまうのはどの口だ、というほどに、あたし自身も読書習慣から離れておりく、かなり長期間にわたって、なかなか読まぬままにおいていた。
しかしつい最近の公休日、午後から妹が家に来ると言っていたことを朝食後に思い出して、急いで読んだ。

1時間も無い程度の時間の読書だったが、オードリー・ヘップバーンという人への興味が高まったし、読んでよかった、と思った。

彼女は素晴らしい女性だ、というコンセプトで描かれた本であることは承知だが、それを考えたに入れても、彼女は何事にも一生懸命な女性だった。
たった63年しか生きなかったことも、この本を読むまでちゃんと覚えていなかったが、生きていれば彼女は、真摯に世界中の不幸な子供達のための活動を、大人たちの微妙な権力争いや利権争いなどというごまかしを無しとして存在させるために、力を尽くしただろう。

さて、先に書いたアンネ・フランクについてを語った、オードリーの言葉をここで引用する。

「アンネ・フランクとわたしは同じ年に生まれ、同じ国に住み、同じ戦争を体験しました。彼女は家の中に閉じこもり、私は外出できたということだけが違っていました。アンネの日記を読むことは、わたし自身の体験をアンネの観点から読むことに似ていました。はじめて日記を読んだとき、わたしの胸は引き裂かれました」(p23)

多分、この言葉こそを、若かりし日のあたしは、目にしたのだろうと思う。
オードリーが大人のレジスタンス運動を少し手伝っていたのであろうと勝手に思い、アンネたちをかくまっていた方たちと同程度に危険な行為であったということまで考えなかったから、どうしてユダヤ人であるアンネと自分を重ねることが出来てしまうんだろうと、考えていた。

しかし、彼女はユダヤ人が強制収容所行きの列車へ、家族バラバラに、赤ん坊さえも引き離されて押し込められるところを目にし、壁の前に並ばされて銃殺される人たちを目にしていた(p22)ということを、この本で初めて知った。
政治運動をしていた人間も強制収容所へ送られていたし、確かに彼女は、強制収容所送りになる危険を犯していた。
目の前で連行される人々を見、銃殺される人々を見、それでもレジスタンス運動家として活動する少女であった彼女を、なぜ今までもっと、興味を見って見ることをしなかったんだろう、と強く思った。

ちなみに彼女は晩年期になって、「アンネの日記」の朗読を行なっている。
アンネの腹違いの妹に当たる女性から講演を頼まれた際の、彼女の言葉を引用する。

「アンネ・フランクの思い出が現在も将来も永遠に私達とともにあるのは、彼女が死んだからではなく、希望と、愛と、とりわけすべての許しの不滅のメッセージをわたしたちに残すのに充分な時間を生きたからなのです」(P182)

さて、ほかにも印象に残ったものを幾つか。

オードリー・ヘップバーンといえば、ジヴァンシーの衣装、というイメージがあるが、彼女とジヴァンシーは、生涯友情を育んでいたのだそう。
ある時、ジヴァンシーはオードリーをイメージした香水を作り、その香りを気に入った彼女のジョーク、「わたし以外の人に使わせちゃダメよ」というところから名前を「禁止」として、彼女の写真を使用しての広告を打ったそうなのです。

そのころ、オードリーは最初の夫と結婚していましたが、夫はそれを見て、オードリーを前面に出しながら無償であること、だいたいいつもジヴァンシーの衣装を一銭もまけてもらわずにオードリーが購入していること、に憤って、代理人を立てて話し合いジヴァンシーになにがしかの報酬を払うようにという取り決めをしたそうなのだけれども、その時の彼女の言葉が非常に清々しい。

「わたしは彼に何も要求しません。彼のお金は欲しくない。彼はわたしのお友達です。わたしのおかげで彼の香水ビジネスが成功したならそれは友だちとして当然のことをしただけ。わたしは彼の香水が欲しければドラッグストアに行って、小売価格で買います」(p122)

彼女の最初の夫がしたのと同じようなことは、スターの周りにはいくらでも転がっている気がするが、オードリーほどのスターが、素人のあたしが見ても肖像権とかってどうなるのかしら、と思うような話に、友情をなにより大切に考えていたというのが美しい。

もう一つ、印象的な話。

既にユニセフでの活動を始めた彼女へ、子どもたちのために働いても、長く生き多分だけ彼らの苦しみを伸ばすだけにしかならないだろう、と言った人物に対しての言葉。

「いいでしょう。それではまずあなたのお孫さんからはじめましょう。お孫さんが肺炎になっても抗生物質を買わないで下さい。事故に遭っても病院へ連れて行かないで下さい。いかがですか。そういう考え方は人間性に反するものではありませんか」(p174)

これを読んだとき、彼女ほどに命を大切にする人はもしかしたら死刑には反対なのかもしれないとはいえ、死刑になるべきだろう事件でも死刑が適用されなかったり、信じ難い事件の犯人の死刑をどうしても回避しようというような人々のニュースを見るたびに、ではあなたの一番大切な人が、犯人がしたと同じ事をされた時にも、同じ事を同じテンションで言えるのか、といつも思うので、やけに心に響いた。

一番に印象に残った言葉。

「笑わせてくれる人が大好き。この世で一番にすてきなことは笑うことだって本気で思います。笑えば、たいがいのことは忘れられます。たぶん、人として一番に大切なことだと思います」(p202)

愛についての言葉も、非常に素晴らしいものを残していらっしゃいますが、とても共感できるこちらを。
確かに、辛くても悲しくても、笑うことが出来れば大丈夫、と思う。
笑う気持ちになれないときにでも、笑わせてくれることに出会えれば、心が晴れる。

本当に大切なことだ、と思う。
たぶん彼女は、死に行くしかないような環境に生まれた子どもたちに、笑顔を与えたかったのだろう。

彼女が亡くなったとき、マザー・テレサは24時間の寝ずの祈りを捧げようと呼びかけたのだという。
別段カトリックというわけではないあたしだが、聡明で愛情に溢れた素晴らしい女性としてマザー・テレサを尊敬しているので、自分の好きなものに実は繋がりの深い彼女の人生を、もっと知りたくなった。

今度の給料が出たら、まずは「ティファニーで朝食を」を買って、彼女の可憐さを堪能しようかな、と思った。
あの映画は、原作とラストがあまりにも違っていて違和感があったのだけれども、また違う気持ちで見られるかもしれない。
スレッドテーマ:オススメの本の紹介 ジャンル:本・雑誌
 
│posted at 02:41:36│ コメント 0件トラックバック 0件
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